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東京高等裁判所 昭和29年(ネ)2109号 判決

控訴人(原告) 又一株式会社

被控訴人(被告) 国

訴訟代理人 関根達夫 外一名

主文

本件控訴はこれを棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は原判決を取り消す、被控訴人は控訴人に対し金三百七十四万六千百五十五円及び内金百二十六万九千九百二十円に対する昭和二十六年四月五日から、内金百六十六万八千九百八十五円に対する同年四月十九日から、内金八十万七千二百五十円に対する同年同月二十一日から各支払ずみまで金百円につき一日金二銭六厘の割合による金員を支払うべし、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とするとの判決を求め、予備的に原判決を取り消す、被控訴人は控訴人に対し金三百七十四万六千百五十五円及びこれに対する昭和二十七年四月十九日から支払ずみまで年五分の金員を支払うべし、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とするとの判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出援用認否は次のとおり附加するほか、すべて原判決事実らんに記載されたとおりであるから、ここにこれを引用する。

(控訴代理人の当審における主張)

一、控訴会社といわゆる東京地方裁判所厚生部との取引について。

(一) 東京地方裁判所厚生部(以下厚生部という)が昭和二十六年一月中旬控訴会社東京支店に対しせんい製品の買付申込をし、その買受条件は現品庭先渡し、代金支払は六十日後払の支払証明書をもつてする等であり、控訴会社はこの申込を承諾し、代金額はその都度折衝することとなつたので、(イ)控訴会社は同年二月一日厚生部の注文により原判決添附の計算書(1) ないし(6) のとおりフラノ地その他のせんい製品の売渡契約を締結の上即日納品し、厚生部は同月三日甲第一号証の支払証明書を発行して同年四月五日までに代金を支払うことを約した事実、(ロ)控訴会社は前同様厚生部の注文により同年二月二十七日前同計算書(7) (8) (10)(11)のとおりフラノ地十六反を納品し、これについて厚生部は甲第二号証の二及び三の支払証明書を発行し、同年四月十九日までにその代金を支払う旨を約した事実はいずれも原判決認定のとおりである。

(二)  原判決は控訴人主張のサージ十反(同計算書(9) )については控訴会社と厚生部間に取引があつたことを認めなかつたが、後記のとおりの資格をもつ天野徳重と協力して厚生部を運営していた後藤寛が右サージ十反を受領したことは確かである(原審後藤証言)。これは初め天野の指図により後藤が友人の藪井某に注文方を依頼し、結局控訴会社が前記フラノ地等と同様の厚生部の注文と信じ名古屋より送付したのであるが後藤は厚生部の当初の計画が変つたのでこれを自分で受取つたものである。あるいは後藤は前記藪井に対してはこれは個人的な取引であると話していたかも知れない、しかし控訴会社又はその係員に対して同人がその旨を告げた事実はない。仮りにこのサージ十反の取引が後藤の内心では厚生部に直接関係のない個人的なものとしていたとしても、控訴会社にはなんらその旨表示されず、前記フラノ地に引続きこれを受領した以上、このサージ十反もまた厚生部の取引であること疑ないものと信ずる。けだし控訴会社は厚生部そのものを信用したのであり、後藤個人と取引する意思もなく、後藤個人の信用によつて取引したものでもないからである。このサージを後藤がいかに処分したかは厚生部内の問題であつて、控訴会社の関知しないところである。

二、厚生部が東京地方裁判所の事実上の部局であり同裁判所そのものにほかならないことについて。

(一)  原判決は厚生部が裁判用紙や印章を使用することを東京地方裁判所において黙認した事実はなく、厚生部は文書の授受にしても取引や経理においても、会計法令においてする東京地方裁判所のそれとは全く関係なく行われてきたもので、従つて厚生部は東京地方裁判所の認めたものではあつたが、司法行政上の官署としての東京地方裁判所の事務を処理するものではなく、本来私的な存在であると認めた。しかしこの認定は正当なものではない。

(二)  戦後社会保障の思想が急速に高まり、官庁といわず会社といわず、その従業員の福祉厚生に力を尽すようになり、これはその重要な事務の一つとなつた。各裁判所が下級裁判所事務処理規則により厚生係を設置するに至つたのもそのためである。このような裁判所の事務の一部(本件の場合は職員の福利厚生)が抽象的に定められた事務処理の準則に反して処理されていたからといつて、直ちに裁判所の事務でないとはいえない。本件の場合、東京地方裁判所は厚生部という一部局にとくに上級裁判所の定めた準則とは異なる方法と独立会計で外部との取引を許していたとみるのが相当である。すなわち原判決認定のとおり、厚生部は終戦前から東京地方裁判所職員の互助団体として自然発生的に誕生したが、東京地方裁判所は昭和二十一年ごろその職員、天野らを厚生部の専従職員に補した。故に東京地方裁判所の二級事務官である天野ほか二名は原判決のいわゆる私的な存在である厚生部の事務を専門にやりながら職員として裁判所の給与を受けることになつたのである。しかしおよそ官庁なり企業体なりの職員がその地位を退職することなく、従つてその給与を受けながら、しかもその本来の職務以外の別個の事務に従事することを許されるのは、労働法上の組合専従者以外には考えられない。しかも天野が厚生部の専従職員になつたというのは、当時本来はその職員の厚生事務を自ら担当しなければならない東京地方裁判所が、すでに職員間に存在していた厚生部を利用して自分の仕事をやるのが便宜であるから、これを吸収して自己の組織下に入れ、すでに厚生部のやつていた職務を自己のものとして助長しようとしたのである。従つてこの時において厚生部は事実上すでに東京地方裁判所の一部となつていたというべきである。

(三)  次いで、昭和二十三年あらたに東京地方裁判所に厚生係が設けられ、天野以下厚生部の職員がそのままこの職員となつたこと、及び厚生部の事務は従前どおり厚生係室で処理するのを許されていたことも考え合せれば、厚生部は事実上完全に東京地方裁判所の一部局となつたものであり、ただ第三者との取引において計算関係が独立しており一般準則と異なつた支払方法がとられていたに過ぎない(このことは事実上の部局のもつ当然の成りゆきであり裁判所内部の問題である)とみるのが正当な考え方である。東京地方裁判所としては総務課厚生係や新設や司法協会の発足にともない、独立会計の厚生部を漸次発展的に解消し、厚生係一本にまとめようと考えていたと思われる節があるだけである。

(四)  原判決が控訴人の厚生部は東京地方裁判所の事実上の部局であるとの主張を排斥したのは原審証人、鬼沢末松(東京地方裁判所事務局長)が厚生部は東京地方裁判所の一部ではないと供述したのを採用したためと思われる。もちろん事実上の部局ということは現在の法規上東京地方裁判所の一部であるというのではないから、この鬼沢証言は当然のことを述べただけで、証言としての価値はない。

しかもこの証言を仔細に検討すると、同人は今日問題が生じてみると物品購入方法が一般準則と異なること、及び新設の総務課厚生係が別個に存在していること等から現存としては右のように考えているというに止まり、以前から明瞭に厚生部は裁判所とは無関係なものと確信していたわけではなく、また東京地方裁判所も厚生部を全く関係のない団体として扱つていたものでもないのである。

三、東京地方裁判所は厚生部をその一部局として表示し、従つてその行為につき責任を負う旨表示したことについて。

(一)  原判決は東京地方裁判所が総務課厚生係の職員天野ほか二名をして厚生部の事務を厚生係の室で処理することを認め、かつ同人が「東京地方裁判所厚生部」という名称のもとに他と取引することを黙認していたことが一因となつて、控訴会社が取引先は東京地方裁判所そのものであり、正規の手続に従つて同裁判所に納入されるものと誤認し取引した事実を認定(裁判用紙、庁印の使用許可は排斥)しながら、一方官庁という特殊なものに関する本件の場合、(イ)本件のような服地類の取引は裁判所本来の目的と直接関係なく、これが取引を大量反覆することはきわめて異常である、(ロ)裁判所の取引方法は会計法令により一定しているのに、本件の場合は発注書、支払証明書等による異なる方法で行われ、またそのことは控訴会社に明言されている、という二つの理由(本件取引の内容及び手続は裁判所の通常の債務負担行為とははなはだしく異なる)を考え合せると「ただちに東京地方裁判所が控訴会社東京支店に対し本件のような取引について厚生部が国に代金支払義務を生ずべき物品購入事務を担当し、厚生部のした取引について国が責任を負うべき旨の信頼するに足る表示があつたと解することはできない」という。

(二)  しかし(イ)本件取引の内容が東京地方裁判所の本来の事務と直接の関係はないとしても、多数職員と大機構を有する司法行政機関の職務(厚生)としては当然あり得る取引である。ことに東京地方裁判所は東京高等裁判所管内の中心であるから、同管内の各地方裁判所の職員のための厚生事務を代行することは十分に考えられることであり、また本件取引にかかる約三百七十万円相当の服地は、当時せんい製品の値段が今日ほど下落していない折から、東京地方裁判所あるいはその他の裁判所の多数職員のための供給には決して大量とはいえず多少の反覆もまた異常とはいえない。この点原判決は事実を誤認するものである。

(ロ) 次に会計法令にもとずく国家機関の取引支払に関する準則は、あくまで国家機関内部において公務員の遵守すべき内規の性質を有するものに過ぎず、本件厚生部の取引方法は外部的にはなんら異常ではなく、むしろ公式化されたいかにも国家機関らしい方法がとられていたのである(そのため官庁に納品した経験のない控訴会社係員は、全く東京地方裁判所そのものと取引するものと信じていた)。そして本件厚生部の取引が原判決判示の如き会計法令に従つた方法をもつてなされたのであれば、それはもはや東京地方裁判所自体の取引であつてたんなる負責の表示を超えるものというべく、他面本件取引の手続が一般準則と類似していないとしても負責の表示としては必要にしてかつ十分であると考える。

(三)  東京地方裁判所が天野らに裁判用紙や庁印の使用を許したことは原判決が否定したが、現に本件ほか数件の証拠には用紙、庁印の使用があり、これが黙認ないし黙過されていたことは弁論の全趣旨から明白であつて、明示の許可がなかつたというに過ぎないのみならず、東京地方裁判所が厚生部に「東京地方裁判所厚生部」という通常人ならば誰でも東京地方裁判所の職員の厚生事務を処理する部局としか考えない名称の使用を黙認し、厚生部に総務課厚生係と同室で事務をとることを許し、現職のしかも厚生係の職員を厚生部の専従職員に補していた事実が認められる以上、東京地方裁判所が厚生部を職員の福祉厚生のための取引を行う権限ある一部局として外部に表示したと目するに足り、一般企業が他人にその営業名義の使用を許した場合と同様の責を負うべきである(昭和四年五月三日大審院判例参照)。ここでとくに官庁という特殊関係を顧慮する必要はないと信ずる。

(四)  控訴会社係員の善意無過失

(イ) なお原判決は「第三者が厚生部を東京地方裁判所における国の取引機関と誤認したとすれば、それはその者の不注意に基因するものというのほかない」としているが、名義使用許可による責任は相手方の善意無過失は標準とならない。名義使用を許したこと自体が負責の原因である。故に相手方が名義の使用を許されて営業をしている事実を知つていても、このこと自体は名義者の責任回避の理由にはならない。この点において前記引用の判例に内蔵する法理ないし条理を援用する。もつともこの判例は商法第二十三条制定以前のものであるから、同条により変更されたと解せられるかも知れない。そうとすれば同条の趣旨を援用する。同条は商号について立言したものであるが、その趣旨は商号と同視さるべき名称にも類推されるものと信ずる。けだし民法上の法人その他の会社以外の法人、諸官庁等の名称は、取引の主体として会社の商号と選ぶところがないからである。

(ロ) しかも控訴会社は厚生部を東京地方裁判所の一部局と信ずるにつき善意であり、このことは、当時不況のおりから、控訴会社東京支店が本件厚生部の求めに応じて多額のせんい製品を代金後払で納入したこと自体からも明白である。換言すれば控訴会社係員は東京地方裁判所を厚生部の主体と誤認して取引したものであるから、被控訴人国はその責を負うべきものである。

(ハ) 控訴会社が厚生部を東京地方裁判所の厚生事務を扱う一部局と信じたことについては過失はない。原判決は右の誤認は一にあげて控訴会社係員の過失としているが、官庁と取引したことのない一般人に官庁の内部規律たる会計法令にまで通じることを要求するのは無理であるし、前記のような東京地方裁判所の表示がある以上、厚生部がその一部局であると信ずるのは当然でありこれを責めることはできない。

四、不法行為の予備的主張について。

(一)  東京地方裁判所は天野が厚生部の事務を東京地方裁判所総務課厚生係にあてた室を使用して処理することを認め、同人が「東京地方裁判所厚生部」という名称のもとに他と取引することを黙認したものであり、これらの事実は控訴会社係員の誤認をひきおこすに足りる十分な原因である。また天野らは現職の東京地方裁判所職員であり東京地方裁判所は同人らを厚生部の専従職員に補し厚生部が外部と取引するものであることを知りながら、まぎらわしくもこれと同室の厚生係をも命じていたのである。従つてこの点においても東京地方裁判所自体の故意ないし過失があるのであつて、仮りに裁判用紙、庁印の使用を別としても第三者(本件の場合控訴会社東京支店係員)の誤認を生ぜしめるに足りるもので、これをもつて誤認の一原因に過ぎないとするのは失当である。

(二)  一般に印章の保管が厳重に行われるのは、これが乱用盗用されることが外部との関係において本人に重大な法律上の責任を及ぼし、あるいは取引の安全が害されるおそれがあるからで、本件においても一般に東京地方裁判所が庁印の保管につき、かけるところがあれば、誰かに盗用されるかも知れぬことは予測しなければならず、また予測し得るところである。従つて東京地方裁判所当局において厚生部が外部と取引する存在であることを知りながら、その職員の監督を怠り、一方庁印や裁判用紙の保管に義務違背がある以上、厚生部職員が庁印や裁判用紙をみだりに使用するやも知れぬことも一般に予見し得る状態にあつたというべきである。同時にこれにより東京地方裁判所が迷惑し、それがさらに一般第三者に損害を及ぼすかも知れないことは当然に予見することはできるはずである。これはとくに裁判所に限らず、一般官庁についていえることであり、それ故にこそ物品の備品につき厳重な規定がおかれ、物品会計規則その他の法令が設けられているのである。控訴人はこの程度の予見のできないうかつな裁判官その他の職員で東京地方裁判所が構成されているとは思われない。

(三)  控訴会社係員が厚生部を東京地方裁判所の職員の厚生福利のための一部局と誤認したことにつき過失はない。

また仮りにあつたとしても、それは過失相殺として、賠償額を定めるにつき、しんしやくされるに止まり、国の過失が控訴会社の損害を生ずるに相当因果関係のある以上、国の不法行為責任の成立自体を左右するものではない。

五、不法行為責任についての補充。

(一)  一般にある者に対し作為義務を課し、その者がこれを怠つたために他人に損害を与えた場合に、その義務懈怠につき不法行為責任を問うのは慎重でなければならないことはもちろんであるが、本件における東京地方裁判所のように所属事務官を厚生部の専従職員に補し、「東京地方裁判所厚生部」という名で外部と取引することを黙認し、さらにその専従職員を裁判所の真正の部局である総務課厚生係の職員に補し、しかも東京地方裁判所庁舎内で厚生部と厚生係を同室で各その事務を処理することを許すなど第三者からみて紛らわしくなる原因を自ら作り、一方厚生部は多額の負債があり、しかもなお第三者と取引を継続している兆候を知悉しながら(原審鬼沢証言参照)、これら第三者が厚生部を東京地方裁判所の一部局であると誤信するにいたることを防止する相当の処置を講じなかつたのは信義則上の義務違背があるというべきである(天野らに対して、もつと強力に監督権を行使し、不審の点あらば取引先に直接通告しあるいは掲示をし、必要とあらば裁判所の事務官又は雇である厚生部の職員を引き上げ、もしくは更迭することもできたのである、そうすれば控訴会社も少くとも二回目、三回目の取引に入らないですんだのであつた)。しかるに東京地方裁判所当局がこれを怠り、すでに赤字状態にあつた厚生部の取引を放置していたのは、その過失であり、控訴会社係員の誤認、従つてまたその損害を生じさせるに十分の原因である。いわんや本件においては厚生部を司法協会に引継がなかつたのは厚生部が赤字であつたからであり、天野らをして新規に取引させることによりその利益をもつて補填させようとした形跡があるにおいておや。

(二)  国は、被用者天野の不法行為について責に任ずべきである。

(イ) 天野らは東京地方裁判所の職員(二級事務官)であり、民法第七一五条にいう国の被用者である。

(ロ) 天野は本件控訴会社との取引において支払証明書を裁判用紙や庁印を盗用して作るなど、厚生部がなんら資産のない「ぬえ」的存在であるにかかわらず、終始東京地方裁判所そのものであり、また自分が国庫債務負担行為をする権限あるかの如く装い、控訴会社から前後三回にわたり代金後払いで本件フラノ地、サージ等を納入させ、結局不払のため代金額相当の損害を控訴会社に与えたのは、同人の不法行為である。

(ハ) 天野らの右不法行為は国すなわち東京地方裁判所の事業の執行につき行われたものである。天野ほか二名は昭和二十一年ごろ東京地方裁判所により厚生部の専従職員に補され、同裁判所の事務官等の地位を失うことなく、かつその給与を受けながら厚生部の仕事に従事することになつた(その以後天野ら専従職員以外に厚生部の仕事をする職員はない)。それは職員の要望もありその福利厚生を確保するため東京地方裁判所が必要と認めたからである(当時物資欠乏ははなはだしく、東京地方裁判所においても職員の生活は困窮し、これを保護しなければ裁判所の事務もとうてい円滑を期し得なかつた)。よつて厚生部自体は東京地方裁判所と別個の私的存在であるとしても、天野ら専従職員のする事務は東京地方裁判所と無関係ではなく、民法第七一五条にいうその事業の執行に該当すると信ずる。

よつて国はその損害を賠償すべきものである。

〈立証省略〉

理由

第一、東京地方裁判所厚生部と控訴会社との取引における基礎たる事実。

(一)  控訴会社がせんい製品等の販売等を目的とする株式会社で、現に東京都中央区日本橋堀留一丁目三番地杉村ビルに東京支店を設け、主として関東方面における販売業務を取り扱わせているものであること、東京地方裁判所厚生部なるもの(その実体は後に認定する、以下たんに厚生部ということもある)が「東京地方裁判所厚生部」という名称を使用し、東京地方裁判所の建物の一階に同裁判所事務局総務課厚生係の表札を掲げた部屋を使用し、同裁判所職員のための物品の購入配給等の事務を取り扱つていたこと、同裁判所事務局総務課厚生係の職員が右厚生部の事務にたずさわり、昭和二十五年ごろから引き続き主任として同裁判所二級事務官(当時)天野徳重がその事務担当者であつたことは当事者間に争ない。

(二) 右厚生部がその名において昭和二十六年一月中旬控訴会社東京支店に対し、せんい製品の買付の申込をし、その買受条件は、現品は庭先渡し、代金は六十日後払の「支払証明書」をもつてする等であり、控訴会社東京支店がこの申込を承諾し、代金額はその都度接衝することとし、同年二月一日右厚生部の注文により控訴会社東京支店が原判決添附計算書記載(1) ないし(6) のとおりフラノ地のせんい製品につき売買契約を締結の上、即日納品して厚生部に引き渡し、厚生部は手続上同年同月三日裁判用紙(同裁判所が裁判書など作成に使う目的で用意しある罫紙で、中央折目部分に「裁判所」と印刷してある)を使用し「東地裁総厚第七号」の表示ある発注書(甲第一号証の一)並びに総代金一、四一八、六七〇円の内金一、二六九、九二〇円につき裁判用紙を使用して、これを同年四月五日までに支払う旨を記載し、これに東京地方裁判所の庁印と天野主任の判を押印した支払証明書(甲第一号証の二)を発行して控訴会社東京支店に交付し、同日までに右金一、二六九、九二〇円を支払うことを約したことは当事者間に争ない。

(三) 天野徳重作成の書面であること当事者間に争ない甲第二号証の一、二成立に争ない甲第六号証の一、三、同第七号証の二、同第九号証の一、二の各記載、原審における証人寺村義一、同後藤寛、原審及び当審における証人天野徳重の各証言をあわせれば、右厚生部は同年二月六日附の「東地裁総厚第八号」の表示ある発注書をもつて、控訴会社東京支店に対し、フラノ地十七反を発注し、その代金の概算払として同年同月二十七日金一、七五六、三〇〇円を同年四月十九日までに支払う旨の前同様の支払証明書を発行交付し、同日までに右金員の支払を約し、右発注にもとずき控訴会社東京支店が、天野徳重の委嘱により右厚生部のため物品購入の仲介あつせんをし控訴会社とのこれら取引についてもその仲介あつせんに当つた後藤寛を介して、フラノ地十六反を原判決添附計算書記載(7) (8) (10)(11)のとおり右厚生部に納入して引き渡したことを認めることができる。

(四) 控訴人はなお原判決添附計算書(9) 記載のようにサージ十反についても厚生部と取引があつたと主張する。成立に争ない甲第七号証の一、二の記載に前記証人寺村義一の証言をあわせれば、控訴会社東京支店が同会社名古屋支店から送つてきたサージ十反五〇八米を同年三月三十日ごろ後藤寛に引き渡したことは明らかであり、また原審証人半野三千雄の証言並びに原審証人天野徳重の証言により同人が作成したことを認めるべき甲第二号証の三、同第三号証の記載によれば、右甲第二号証の三の支払証明書や甲第三号証の誓約書記載の金額中には数額上右サージ十反分の代金が包含され、天野が厚生部に右サージ十反分の代金支払債務あることを認めたようにみえる書面を作成して控訴会社東京支店に交付したことが認められる。しかし右甲第二号証の三や甲第三号証記載の金額中には控訴人も自認するとおり実際には納入されなかつたギヤバジン一反の代金があやまつて算入されているのみでなく、甲第二号証の三には「但東地裁総厚第八号発注ニヨルモノ」という記載があり、その発注書たる前記甲第二号証の一には「黒サージ一本、フラノ地一七本」とあり、この発注書にもとずき前段(三)認定のとおり原判決添附計算書記載(7) (8) (10)(11)のフラノ地合計十六反が納入されたものであるから、この発注にかかるものの代金として支払を約した書面である同年二月二十七日附支払証明書(甲第二号証の二)記載の代金一、七五六、三〇〇円(この金額は甲第二号証の三の一、七三七、九七二円一六銭に一ケ月分の延滞利子一三、六九九円一四銭を加算したものと一致する)中には当然右計算書(7) (8) (10)(11)の各代金を包含すべきはずであるにも拘らず、事実はこの金額でなく、少くとも右(10)(11)の二口の代金額を包含するものとすれば、その金額が合わないところであり、右発注書にいう「黒サージ一本」が本件「サージ十反」と同一のものでないことは弁論の全趣旨から明らかであり、原審証人天野の証言によれば前記甲第二号証の三や甲第三号証の発行当時である昭和二十六年四月下旬ごろは厚生部は控訴会社との取引につき支払困難となり、控訴会社から強く解決方を求められていたため、天野らは控訴会社の主張を深く検討することなく、その主張のままこれら支払証明書、誓約書等を発行したものであることがうかがわれ、また右サージ十反については結局厚生部名義の発注書は発行されなかつたことから考えると、右甲第二号証の三や甲第三号証によつて直ちに控訴人主張のとおりの取引があつたことを認めるには十分でない。前記証人後藤寛の証言(後記信用しない部分を除く)によれば、右サージ十反は、はじめ天野は後藤に安いサージをさがすよう指示したがなかつたので、後藤が名古屋の友人藪井某に問い合わせた結果同人から後藤のもとに見本を送つて来ることになつたところ、見本でなくいきなりサージ十反の現物(本件物件)を控訴会社東京支店を通じて送つて来たので、後藤はこれを天野に報告したが、天野は都合により厚生部として引き取ることを拒んだため、結局この品物については厚生部と控訴会社との間に正規の契約は成立するにいたらず、後藤が個人としてこれを引き取つたものであることを認めるべきものである。

しかし控訴人は、このサージ十反がその実厚生部と関係なく後藤寛個人の取引であるとしても、後藤は従来厚生部の嘱託として天野に協力して厚生部のため事務を処理して来たものであり、控訴会社としてはこの分についても後藤がその権限にもとずき厚生部のためにするものであると信じて取引し、同人に引き渡したものであるから厚生部は右取引につきその責に任ずべきであると主張する(当審の主張一の(二))。この点について右証人後藤寛は右サージ十反を引き取るときそれは同人個人として引き取るものである旨を前記藪井や控訴会社係員に言明したと供述し、前記証人寺村(控訴会社東京支店係員)はもともと右サージは名古屋支店を通じての話で、話があいまいなうちに現物が届けられたため、くわしいことは分らないとして、その間の消息について十分な供述をしていないけれども、前記甲第七号証の一によれば、後藤において使いをして右サージ十反を引き取らせる際「使ひの者にサージ御渡し願ひます、地裁受領書及び支払証明書は月曜日お届けいたします」と記載した三月三十日附(同日は金曜日である)後藤名義の書面を控訴会社に届けていることが明らかであり、後藤個人にはかくべつ信用があつたわけでなく、個人なら控訴会社も代金後払で現物を渡すはずはないとも考えられるところからすれば、前記後藤の個人として引き取る旨を言明したとの右供述は直ちに信用できず、右甲第七号証の一の記載と、後藤が従来天野から厚生部の嘱託というような地位で厚生部のため事務を処理することをまかされていたこと(前記証人天野の証言によりこれを認める)及び本件口頭弁論の全趣旨をあわせれば、控訴会社としては右サージの取引もまた後藤がその権限にもとずき厚生部のためにするものと信じて取引したものと認めるべく、右事実関係の下においては厚生部の発注書や事前の支払証明書こそなかつたが、控訴会社がそのように信ずるについては正当の事由あるものというのほかはなく、この取引についても厚生部はその責に任じなければならないものである。

第二、厚生部は東京地方裁判所の一部局であるか(原判決控訴人の主張第一の一、当審の主張二)。

控訴人は厚生部は東京地方裁判所の一部局であり、少くともその事実上の一部局であるから、厚生部との取引はすなわち東京地方裁判所との取引であり、従つて被控訴人国は右取引上の債務を負担すると主張するから、以下これについて判断する。

(一)  およそ国の機関たる官庁はすべて法令にもとずき設置せられ、法令にもとずきその職務権限事務内容が定められ、そのそれぞれの部局についても法令上の根拠にもとずき定められるものであるところ、厚生部が法令上かかる根拠にもとずくものでないことは明らかである。また、国の機関たる官庁としての東京地方裁判所において、本件のような物品について国の支出の原因となる購入契約(支出負担行為)をするには、会計法令上配付された予算にもとずき、最高裁判所長官から支出負担行為について委任を受けた支出負担行為担当官(当時効力を有した昭和二十二年最高裁判所規程第四号下級裁判所会計事務規程第三十四条第一項によれば、当時は東京地方裁判所会計課長)がこれをし、原則としてその名義をもつて契約書を作成し、これに記名押印することを要し、その代金の支払は最高裁判所長官から支出について委任を受けた支出官(前記規程第三十四条第二項によれば本件当時は東京地方裁判所長)の振出す日本銀行支払の小切手をもつてすることになつているところ、本件において厚生部主任たりし天野徳重はかかる支出負担行為担当官でもなく、また支出官でもなかつたことは明らかであり、同人が厚生部主任としてした本件契約が内部的に右正規の支出負担行為担当官ないし支出官から適法に委任されたものでもなく、厚生部の業務について東京地方裁判所の司法行政上の機関である裁判官会議、所長ないし事務局長等の指揮命令を受けることなく、その監督を受けるものでもなかつたことは原審証人鬼沢末松、原審及び当審証人天野徳重の各証言から明らかである。従つて厚生部はいずれの意味においても、直接法令の根拠にもとずく東京地方裁判所の正規の一部局であるとすることのできないことは明白である。

(二)  しからば厚生部は東京地方裁判所の事実上の一部局であるといい得るか。控訴人がここに事実上の一部局というのは、一方において厚生部の扱う事務が事の性質として東京地方裁判所の事務であるということと、他方において厚生部は法令上の根拠はないが事実上同裁判所の内部的統制ないし管理に服し、これに所属するものであるとのことを内容とするものと解すべきこと、弁論の全趣旨から明らかである。およそ国の機関たる官庁において一般にこのような意味において事実上の部局というものが是認せられるかどうかは、官庁たるものの性質上それ自体問題であろう。しかしその点を決するまえにまずもつて本件厚生部の実体について検討しなければならない。

原審証人鬼沢末松、同川名清、原審及び当審証人天野徳重の各証言に前記認定の諸事実及び本件口頭弁論の全趣旨をあわせれば次の事実を認めることができる。すなわち、戦時中から東京刑事地方裁判所職員の間では、相互の福利厚生をはかるため、同志の者が生活必需物資を他から入手して職員に配分した上、代金を集めて仕入先に支払うことをしており、これらの事務は裁判所の各職員がその都度本来の職務のかたわらこれに当つていたのであるが、はんざつのため、職員の希望により同裁判所では比較的ひまな職員をして庶務系分室という名称のもとに勤務せしめつつ同裁判所職員のため一元的に右のような物資の購入配給活動に従事させることとし、その結果だんだんこの購入配給活動は、とくだんの規約が定められたようなことはなかつたが、右職員によつていちおう組織化されて恒常的に運営されるにいたり、これをたれ言うとなくいわば自然発生的に、一般に「厚生部」と呼びならわすようになつたこと、天野徳重は昭和二十一年ごろから右厚生部の事務を担当することになつたのであるが、昭和二十二年五月、東京民事、東京刑事各地方裁判所が合体して東京地方裁判所となつた後も、右厚生部は、民事関係職員間に以前からあつた同種の組織である互助会と併立して活動を続けて来たところ、昭和二十三年八月下級裁判所事務処理規則の施行にともない東京地方裁判所事務局総務課に厚生係がおかれることになつたので、同裁判所では天野ら右厚生部の事業にたずさわつている職員をそのまま厚生係にあて、同裁判所の事務としての職員の健康管理レクリエーシヨン等厚生に関する本来の事項を分掌させるとともに、従前どおり厚生部の事業の担当者としてこれを継続処理することを認め、天野は厚生係室にあてられた同裁判所本館一階の室において東京地方裁判所厚生部という名義で他と取引を継続して来たこと、昭和二十四年四月在京各裁判所の同種組織を統合して、同種目的に奉仕するため、あらたに司法協会が設立されるや、前記互助会はこれに吸収されたが、厚生部は帳簿もない上多額の赤字を蔵し整理ができなかつたため取り残され、さらにその後もあらたな取引がなされた結果、結局吸収されることなく現在にいたつたこと、厚生部はその取引にあたり発注書や支払証明書という書面を発行交付し、右書面作成のため庁用の裁判用紙を使用し、また刑事訟廷課にあつた東京地方裁判所の印章(庁印)を使用押捺したことがあつたが、かかる裁判用紙や庁印の使用は東京地方裁判所において公けに許したことのないのはもちろん黙認した事実もなく、厚生部は文書の受授にしても取引や経理にしても東京地方裁判所のそれとは全く関係なく行われて来たという次第である。右認定に反する証拠は採用しない。

以上の事実によつてみれば、本件厚生部の扱う事務内容は本来東京地方裁判所所属職員のため、その日用生活物資の獲得配給にあることが明らかである。しかしこのような事項が国の機関たる東京地方裁判所の事務として認められる法令上の根拠はなく、予算上の裏付もないことは明らかであつて、その事の性質上それが東京地方裁判所それ自らの事務に属するものとはとうてい解し得ないところである。戦後社会保障の思想が高まり、官庁といわず会社といわず、多数の従業員を擁する事業体において、従業員の福利厚生に力を尽すようになつたことは控訴人所論のとおりであるが、そのいわゆる福利厚生とは具体的にいかなることを内容とするかはそれぞれの場合の事実関係にもとずいてみるべきものであり、あるいはその従業員のため日用生活物資等の購入も当該事業体の福利厚生事務の一環としてなされることも否定し難いけれども、つねに必らずそうであるとは限らず、この種の物資購入については本来の福利厚生事務とは別に、従つてその事業体そのものとは別にその職員の団体等の名において行うものもあること、ことに法令によつてその職務権限事務内容の一定する官庁においてはそうであることは、一般に知られたところであるから、従業員のための物資購入がその福利厚生のためになされることがあるからといつて、いちがいにその事業体そのものの事務であるとするのは早計である。すなわち本件においては厚生部の処理する事務は東京地方裁判所の事務であるとすることはできない。

次に厚生部が内部的に東京地方裁判所に所属するかどうかの点について考えるに、前認定の事実によれば厚生部は東京地方裁判所の認めていたものではあるが、国の機関である同裁判所の事務を処理するためのものではなく、その発生の当初からその性格にあいまいな点のあることはおおいがたいけれども、少くともそれは同裁判所職員間において、主として生活物資の獲得配給をはかることを目的とし、その職員一般を構成員とし、天野ら職員をその業務担当者とする団体か、さもなければ前同様の目的のため職員一般を受益者とし天野らをして信託的にその事務にあたらせていた関係かのいずれかと解すべく、いずれにしても本来職員の間の私的な存在であつて事実上もその設置及び運営において東京地方裁判所の内部的統制ないし管理に服したものでなく、それとは全く別個の地位を有するものであることが明らかである。

事務局総務課厚生係は前記のとおり下級裁判所事務処理規則にもとずく正規の部局であり、主として職員の健康管理等の事務をつかさどることを内容とし、職員のため物資獲得等について直接業者と取引することは本来の職務ではないから、右厚生係が裁判所の正規の部局であるとの事実によつて、厚生部の仕事も本来裁判所の固有の事務に包含されるものとすることはできない。むしろ正規の厚生係が設置されたに拘らず、厚生部はこれに吸収されず、これと並行して依然としてその名において活動を続けていたこと自体、その事実上の一部局にあらざることを示すものというべきである。

東京地方裁判所は厚生部に裁判所の建物の一部を使用することを認めた。裁判所というような法令上その職務権限ないし事務内容が一定した官庁において、その自己の庁舎を使用するのは原則として自己の事務を処理させるためにあることからすれば、一定の事務を処理させるため庁舎の一部を使用させることは、逆にその事務が当該官庁の事務であるが故であるという推理も、いちおう、できないではない。しかし現時の実情において、官庁は厳密にすべてその庁舎をことごとく自己固有の職務のためにのみ自ら直接使用するわけではなく、時としては本来の職務の遂行に支障のない範囲で、有償又は無償で、職員や外来者の便宜をはかるため、直接にはその事務のためでないものに庁舎の一部を使用させることのあることは、随所にこれを見得るところであつて公知の事実に属するのみでなく、本件において少くとも前記厚生係設置の後は、厚生係の部屋は本来厚生係の事務を処理するための性格をもち、これをその事務処理のために使用しつつ、ただその事務を害しない範囲において厚生部がその事務をとることを認めた便宜上の措置であると認めるべきであるから、東京地方裁判所がその庁舎の一部を厚生部に使用させた事実も、厚生部が東京地方裁判所の事実上の一部局であるとする根拠とするには当らない。

また東京地方裁判所が本来のその職員をして厚生部の事務に当らしめた問題について考えるに、官庁会社銀行等一の事業体は本来その自己の業務のために従業員を使用するのがたてまえであることからすれば、天野らが地方裁判所の職員たる地位を失うことなく、従つてその給与その他公務員たる待遇を受けながら厚生部の事務に当ることを東京地方裁判所当局から認められていたことは、事態をきわめてあいまいならしめるものであつたことは否定し得ず、この点をとらえれば前記庁舎使用のことにも増して厚生部の事務が本来裁判所の事務であつたことの根拠とし得る如くである。しかしさらにこまかに検討すれば、前認定の如く当初厚生部は職員間の有志の者が本来の職務遂行のかたわら奉仕的にしてきたものを、はんざつのため比較的事務のひまな職員に代らせることとなり、天野らが総務課所属の職員としてこれにあてられたとしても、ひつきよう、それはその地位において比較的ひまであつたからであるに止まり、本来の総務課の事務の分掌を廃したものではなく、ただ事実上、人員の配置、事務量の分配の上で同人らだけで一元的に、すなわち他の職員をわずらわすことなく、厚生部の事務を処理できるよう配慮されたに過ぎず、それは要するに裁判所当局が好意的であつたというに止まる。従つてそこに程度の差こそあれ当初の成りたちとは全然異質の状態が現出したものはとはいい難い。そしてむしろ厚生係設置の後は、設置にかかわらずこれに吸収されることなく厚生部の仕事は並行的になされ、天野らは本来の厚生係の職務をとりつつ(前記証人鬼沢、川名らの証言によれば、この時代、厚生係としては正式な官庁配給のD・D・Tの配給や職員の健康診断、レクリエーシヨンとしての野球大会の開催等の事務をとつたことがうかがわれる)、あわせて厚生部の仕事をもしていたものとみるのを相当とするからこの点もまた厚生部が東京地方裁判所の事実上の一部局であることの根拠とするには乏しい。

用紙や庁印使用の点はもともと裁判所当局においてこれを許した事実はないこと前記のとおりであり、本件において用いられた裁判用紙なるものは本来調書や裁判書に用いられるものであつて、事務局において内部の起案に用いるものや外部との往復文書に用いる正規のものでないこと、前記甲第一号証の一ないし三、同第二号証の一、二、同第四号証の二等の形式及び前記証人鬼沢の証言から明らかであるから、右厚生部係員が用紙を流用したというに過ぎず、庁印にいたつては係員において本来用うべからざるところにほしいままにこれを用いたというべきものであつて、これらの事実によつて地方裁判所当局がその自己の事務として厚生部に扱わしめたものとすることはできない。

さらに控訴人は東京地方裁判所当局も厚生部を全く関係のない団体として扱つていたのではないと主張する。もとより厚生部が東京地方裁判所そのものとは別個独立の本来私的な存在であるということはそれが全く裁判所と無縁な存在であるということを意味するものではない。厚生部は東京地方裁判所職員を構成員ないし受益者とし職員により運営される職員のためのものであるから、かかる意味においては全く裁判所に関係のない外部の団体等とは同一に談じ得ないことは当然である。またもしこの厚生部に非違、不正、行き過ぎ等があつては、ひいてはその事にあたる職員の身分上の問題にも影響を及ぼすおそれがあることはその職員が公務員であることを考えればおのずから諒解されるところである。前記証人鬼沢の証言によれば、前記司法協会設立にともない厚生部引継の問題が起つたさい、鬼沢事務局長は厚生部の財産状態を調査し、かつ爾後の新規取引の差止を申し入れたこと、その後本件の如き業者との紛議を生じて天野の職員として懲戒の問題にも発展したことをうかがい得るが、これらの事実はなんら異とするにはたりない。右証言によればさらに専務局長はその後厚生部の取引の相手方たる控訴会社はじめ他の債権者と交渉したことがあり、また関係記事が新聞紙上に出たことから東京地方裁判所はこれを常置委員会の議にかけ、民刑各二人の裁判官からなる小委員会により調査したことが認められるがこれはこれら業者がいずれも厚生部の取引は裁判所の取引であるとして裁判所当局に迫るにいたつたためであることも右証言からうかがい得るところであるから、これをもつて東京地方裁判所当局自身が厚生部をその事実上の一部局としたことの証拠とすることはできない。

これを要するに厚生部が東京地方裁判所の事実上の一部局であるとする控訴人の主張は失当として排斥するほかはない。

第三、東京地方裁判所は厚生部の取引につき責任を負うべき旨表示したか(原判決控訴人の主張第一の二、当審の主張三)。

控訴人は、東京地方裁判所は厚生部のする取引につき責任を負うべき旨外部に表示したものにほかならず、控訴会社はこの表示を信頼して本件取引を行なつたものであるから、東京地方裁判所すなわち被控訴人国は右取引の責に任ずべきであると主張する。

一般に他人に自己の名称商号等の使用を許し、もしくはその者が自己のために取引する権限ある旨を表示し、もつてその他人のする取引が自己の取引なるかの如く見える外形を作り出した者は、この外形を信頼して取引した第三者に対し自ら責に任ずべきであるとすることは、商法第二十三条、第四十二条、民法第百九条等の趣旨、いわゆる名板貸とよばれるものについての法理、その他一般に表示行為の公信力の問題としてこれを肯定しなければならない。

本件において東京地方裁判所は厚生部が「東京地方裁判所厚生部」という名称を用い、その名称のもとに他と取引することを認め、その職員天野らをして厚生部の事務を、総務課厚生係にあてた部室を使用して処理することを認めていたことは前記のとおりである。

まず「東京地方裁判所厚生部」という名称が「東京地方裁判所」そのものとは、その表示において異なることは読んで字のとおりであり、厚生部がその名称の中に「東京地方裁判所」という表示を含むからといつて直ちに東京地方裁判所そのものもしくはその一部局を示す名称であるといい得るかどうかはさらに検討しなければならない。この問題は「東京地方裁判所厚生部」という名称が、客観的になんぴとにも通常人ならば東京地方裁判所そのものもしくはその一部局を示すものとして理解されるかどうか、すなわち名称のもつ表示力の問題である。一般に本来の名称と用いられた名称とが完全に文字どおり一致する場合はなんらの問題なく、本来の名称の下に「支部」「支所」「支店」「分局」「分室」ないし「営業所」「事業所」というような、通常それ自体その一部局たることを示すものが附加された場合も同様であり、両者の名称に若干の相違があつてもその同一性が客観的に認識される場合も同一に解してさしつかえないであろう。本件の如き「厚生部」という名称が附加された場合はどうであるか。戦時中から戦後にかけて一般に物資が不足し、ために官庁といわず会社といわず、多数の従業員を使用する事業体において、これら従業員のため日用品生活必需物資の購入配給等の事務をとる目的で「厚生部」とか「互助会」とかその他類似の名称の組織が設けられて、もつぱらそのことに当つたことは、一般に知られたところであり、これを逆にいえば「厚生部」その他類似の名称はおうむねその当該事業体の職員のため物資購入等の活動にあたる組織であることを示すものといつてさしつかえない。そしてこれらの名称にはそれ自体独立した一の組織体そのものを表現するものもあるが、そうではなくてその従業員所属の事業体の名を冠することまた多く見られるところであつて、それがその実体においてその事業体そのものもしくはその一部局であるか、それとは別個のいわば自主的な組織としての存在であるかは、それぞれの実情によつて定まるというのほかはない。これを一般民間の商社団体等についてみれば、これらの事業体はおうむねその定款等に定める目的の範囲内にあることを要するとの制限があるとはいえ、その事業活動はきわめて広きに及び、内部的に資金の運用も融通性をもち、これらの職員にたいする給与、利便の供与も理事者の自由に定め得る範囲が広い場合が多いのであるから、職員のための物資購入そのものも当該事業体の事務としてなされ得ることは肯認し得るところである。したがつて、これらの事業体の名称の下に「厚生部」その他類似の名称を附するときは、その名称は全体として当該事業体の一部局たることを示すものといい得る場合の存することは否定し得ないであろう。しかし少くとも国の機関である官庁についてはこれと異なる。一方において官庁は本来その組織権限事務内容が法令によつて定められるのみならず、その内部の各部局の設置事務分配もまた同様であつて、法令上の根拠なくして任意に定め得るものではなく、ことに所属職員にたいする給与、利便の供与は必ず法令に根拠をもち、予算上の裏づけなくしては行い得ないものであるところ、他方「厚生部」その他類似の名称のもつ意味はおうむね職員のための物資購入等の事務に当る組織たることを示すものと一般に理解せられることは前記のとおりであり、官庁職員のための生活物資購入の事務が当該官庁自身の事務であることは通常あり得ないところであるからたまたま「厚生部」なる名称の上に当該官庁の名が冠せられたとしても、一般にその官庁もしくはその一部局であると人をして認識せしめるに足りるものということはできない。いわんや裁判所のように、裁判所というだけでなんぴとにもその職務権限事務内容のおうよそが理解され得る官庁については、「厚生部」という名の存在がその名の示すような事務内容をもつて、裁判所の一部局としてあり得ると解する如きことは、通常人の注意を用いる者にはおこり得ないと解しなければならない。しかも各地の裁判所職員間に当時類似の名称をもつた組織が多く見られたことは原審証人鬼沢の証言からもうかがわれるところであり、ひとり本件東京地方裁判所厚生部なるものが裁判所として唯一の例ではないのであるから、この場合についてだけとくに裁判所の一部局たることを示す表示力あるものとすべき理由はない。「厚生部」という名称が一般にはその部局をあらわす「部」という字を用い、「互助会」「厚生協会」等の名称がそうでないということは、この両者のもつ表示力を本質的に区別すべき理由とはならないと考えられる。

天野ら裁判所職員が厚生部の事務に当つていたこと、庁舎の一部を厚生部に使用せしめたことは前記のとおりであるが、庁舎の一部が本来の官庁事務に属しないもののために使用されることのあるのは必ずしも異例でなく、職員が本来の職務に支障のない範囲で他の事務に当ることのあるのもあえて奇とするに足りず、すでに東京地方裁判所厚生部という名称がそれ自体官庁たる東京地方裁判所もしくはその一部局たることを一般に認めしめるものでない以上、裁判所職員が厚生部の名において執務にあたり、庁舎の一部が厚生部の名において使用されているわけであるから、それはひつきようあくまで厚生部なるものの存在を表示するものたるに止まり、直ちに一般に裁判所の一部局と誤認させるものということはできない。これら名称、職員、庁舎の三つを綜合して考えてもその結論は同様である。

控訴人は本件取引において厚生部は東京地方裁判所の一部局であると誤認したという。よつてさらにこの取引成立の経緯についてみるに、前記甲第一、第二号証の各一、二、成立に争ない甲第五、第六号証の各三、同第七号証の二、原審証人寺村義一、同池田清次郎、同後藤寛、同半野三千雄の各証言をあわせれば、従来大阪所在の訴外本丸田株式会社は前記後藤寛を通じて数回厚生部と取引して来たのであるが、厚生部へも、一、二度来て天野とも面識のあつた同会社東京駐在の池田清次郎は同会社と厚生部との取引代金の未決済額が予想以外に多額に上り、同会社として一定の枠に達したので、爾後は同会社から直接厚生部へ売渡すことを止め、同会社から控訴会社東京支店に売渡し同支店から厚生部へ納入するという方法を考え、昭和二十六年一月右後藤と同道の上、控訴会社東京支店において支店長や同支店で販売事務を担当していた寺村義一らに対し、右の事情を告げ、東京地方裁判所に厚生部というものがあるが、納入手続は複雑だからその手続は池田が代行するから控訴会社東京支店において服地を本丸田株式会社から購入してこれを厚生部に納入の上売渡代金を受領し、本丸田に買受代金を支払い、その代金の差額を事実上口銭として控訴会社が取得するよう申し入れ、後藤を紹介し、その際後藤や池田から、厚生部は最高裁判所はじめ全国の裁判所の職員のため服地を安価に仕入れてこれらの裁判所へ配分する仕事をしており、注文は発注書により、購入代金の支払は支払証明書をもつてし、納入先は結局東京地方裁判所であるというような話があつた控訴会社東京支店はこれにより厚生部の実体や官庁の購入手続等についてかくべつ調査することなく、右取引を承諾して本件第一回の取引(前記計算書(1) ないし(6) )が行われたこと、その後裁判用紙を使用した発注書、支払証明書が控訴会社東京支店に交付され、右支払証明書には東京地方裁判所の庁印が押され、また同支店では右文書に表示された天野徳重なるものが同裁判所に実在していることを確め、次いで第二回目の発注により第二回目の取引(同計算書(7) (8) (10)(11))が成立し、その後同年二月下旬この取引に関する支払証明書の交付を受くべく寺村義一が厚生部の室に天野を訪ね、厚生部が東京地方裁判所の建物内の一室を使用している事実を現認したという順序であることが認められる。右事実によつてみれば第一回の取引においてはまだ裁判所職員がその事務を担当し庁舎の一部が使用されていることは控訴会社において承知していたものと認め得ないからこれらが右取引の意思決定の上に影響を及ぼしたものとはいい難く控訴会社としては取引の相手方が厚生部という名称のものであるという事実のほか池田や後藤の言明をそのままに信じて直ちに取引関係に入つたものであり、その後庁舎や職員の点と用紙や庁印の問題(この問題は地方裁判所当局の黙認したものでないから裁判所の表示行為の内容をなすものとはいえないが)もあり、結局当初の意思決定にもとずくところについてあらためて疑いを容れることがなかつたというに帰するのである。しかるに成立に争ない甲第八号証と原審証人半野三千雄の証言に前認定の事実をあわせれば、厚生部はその第一回の取引代金の内一二六万余円は昭和二十六年四月五日までに一五万円は同年二月七日までに各支払う旨支払証明書をもつて約しながら同年四月五日まで全く支払をせず、次いで第二回以後の支払期が迫つて、控訴会社はとくに半野三千雄をして債権回収のことに当らしめ、四月初旬以降天野や後藤に厳重交渉させたが、わずかにその間支払証明書の書換ないし誓約書の差入に成功したに止まり(これらも半野がその原稿を書きタイプに打つて天野に押印を求めたものであり、誓約書の方は半野の求めにもかかわらずついに庁印は得られなかつた)、天野らは品物を他の裁判所に送つたが値下りのため売れず代金が入らないなどといつて要領を得ず、同年六月交渉はついに不調に終つて本訴提起にいたつた消息がうかがわれる。これらの事実によつてみれば当初から真実控訴会社は厚生部を東京地方裁判所の一部局と信じて取引に当つたものかどうかはむしろ疑わしいといわなければならぬ。もし東京地方裁判所の一部局すなわち地方裁判所そのものが取引の主体であるならば、いやしくも国家機関が本丸田の如き一業者にその所定の枠以上に及ぶような取引代金の未決済額を残し、そのため本丸田は直接取引を止めるというような事態を起すことはまことに奇怪なことであるから、同様の業者として控訴人は当然なんらかの疑念をいだくはずである。また控訴会社との取引においてもその第一回の取引から未払を生じこれによつて民間一業者たる控訴会社を窮地に追い込むことまた国の行為として通常信ずべからざることであり、その交渉に際して天野らの示した言明や態度は本来裁判所そのものの取引としては全く筋違いというべきものであるから、控訴会社としては同人らだけを相手にして、むなしく日を経ることなく、直接地方裁判所当局に交渉することに、もつと早く気付くべきが通常であると解せられる。その間事をおんびんに処せんとした努力は諒し得るとしても、その全体の事情はきわめて不自然である。これらの事実はむしろ、控訴会社自身は取引に当つてはたして真実の取引先が何者であるかをせん別せず、ただ取引の結果代金を回収し、事実上の口銭ともみられるべき利潤を得られれば足りるとし、あえて深くせんさくするところなく事を進めた結果、この破局をみるにいたつたものであることをうかがわしめるに足りる。

仮りに控訴人にしてその主張する如く厚生部を東京地方裁判所の一部局と信じたとしても、この場合控訴会社において、もし通常取引社会において一般に期待せられる如き注意を尽したならば、前段説明の如き世上一般に見る厚生部なるものの実体、それが官庁における場合の実情等々からしてしかく軽々に厚生部を東京地方裁判所の一部局と誤認したであろうか。いわんや本件の如き本丸田との従来取引の結末、本件取引の目的物件、数量、支払方法、さらには本件服地は最高裁判所をはじめ全国裁判所職員のためにするものとの言明等々からみて、それが国の官庁たる東京地方裁判所しかも数ある地方裁判所のうちのひとつにすぎない同裁判所そのものの取引でないことはなんぴとにも容易に理解し得るものというべき場合においてなおさらである。控訴人は本件の支払証明書の形式による取引そのものがすでに公式化されたいかにも国家機関らしいやり方であるという。しかしこの方式は天野ら担当者の案出にかかる独自のもので、いかなる意味においても正規の国家機関のする方式と類似するものでないことは前認定のところと対比すればおのずから明らかであり、国家機関の方式として信じたとすれば、架空のものを信じたに過ぎないのである。この故にたまたま控訴会社が厚生部を東京地方裁判所の一部局と誤認したとすれば、それはひつきよう控訴人の不注意によるものといわざるを得ない。控訴人が誤認したとの結果をとらえてこれを一般に及ぼし、一般に客観的に厚生部がその名称、職員、庁舎等の関係から東京地方裁判所の一部局たることを表現するものと結論することの誤りであることは明らかである。原審証人川名清同後藤寛の各証言によれば、厚生部の内部にいたこれら川名や後藤も厚生部が地方裁判所の一部局であると信じていたことをうかがい得るようであるが、これまた同人らの弁識力の不十分を示すものにほかならず前記結論を左右するに足りない。

しからば本件において東京地方裁判所当局は厚生部につきこれを同裁判所そのものもしくはその一部局と誤信せしめるに足りるような表示行為をしたものということはできないから、控訴人の主張はその前提を欠くものというべく、控訴人がこの点においてその誤信にもとずき取引したとしても、それが過失によると否とに拘らず、被控訴人国としては厚生部の取引につき責に任ずべき筋合ではないといわなければならない。この点の控訴人の主張は失当である。

第四、不法行為にもとずく請求について(原判決控訴人の主張第二当審の主張四、五)。

(一)  控訴人は、東京地方裁判所裁判官会議、所長、事務局長ら同裁判所のこれら機関は厚生部が「東京地方裁判所厚生部」という名義を使用することを許し、現職の職員を配置し、庁舎の一部を使用することを認め、またその職員に対する監督をゆるがせにして裁判用紙や庁印の使用を黙認しもしくは保管義務を怠つてこれらを盗用された、これらの事実がなかつたとすれば控訴会社は厚生部を東京地方裁判所そのものと誤認することなく、従つて右厚生部と取引するはずもなかつたのに、前記事実の結果厚生部を裁判所と誤認して取引し物品を納入するにいたつたところ、厚生部には本来全く財産はなく、他にも多額の債務を負担し、控訴人は前記代金三、七四六、一五五円の支払を受けることができず同額の損害をこうむつた、これは東京地方裁判所の前記機関の故意過失にもとずくものである故に、その損害賠償を請求すると主張する。

東京地方裁判所が厚生部をして「東京地方裁判所厚生部」という名称を使用することを認め、現職の職員がその事務にあたること及び庁舎の一部を使用することを許したことは前記のとおりであり、裁判用紙や庁印の使用は裁判所において黙認したものでなく、本来用うべからざるものを厚生部の職員がほしいままに用いたものと認めるべきことまた前認定のとおりである。

ところで裁判所が前記のように厚生部にその名称、職員及び庁舎の使用を許したことから通常直ちに厚生部が東京地方裁判所ないしその一部局であると誤認せしめるものといい得ないことは前記説明のとおりであり、控訴会社が誤認したとすればたまたまその不注意の結果というべきことも前認定のとおりである。この故に東京地方裁判所が厚生部に前記名称、職員及び庁舎の使用を許したというその行為と控訴人の誤認との間には事物自然のなりゆきとしての原因結果の関係はなく、いわゆる相当因果関係を欠くものといわなければならない。

次に裁判用紙や庁印の問題について、厚生部の事務処理にあたる係員がこれを流用したことは、これを結果的にみれば同裁判所における職員に対する監督や庁印の保管等において内部規律の保持上なんらか欠けるところがあつたためと認めるべきものではあるが、裁判所におけるその点の懈怠によつて必然控訴人の誤認を生ぜしめたものではなく、その間厚生部係員天野らにおいて用うべからざる用紙を用い、用うべからざる庁印を押したという同人らの行為が介在しているのであつて、裁判所の前記懈怠行為(不作為)と控訴人の誤認との間に相当因果関係あるものとし得ないことは明らかである(天野ら職員の不法行為につき使用者としての責任あるや否は別問題である)。

以上名称職員庁舎の使用許可という行為(作為)と規律保持上の懈怠という行為(不作為)とをあわせて観察しても、それは所詮二つの事情が重なつただけであつてそれ自体通常一般に誤認を生ぜしめる関係にあるものとは解し難く、これらの事情に池田や後藤らの言明、用紙や庁印の使用等が加わり、取引上通常の注意をもつてすればそのことがないにかかわらず控訴人の不注意のためたまたま誤認なる結果を導いたものというべきことは前認定のとおりであるから、裁判所の行為自体としては控訴人の誤認に対し相当因果関係あるものとするを得ない。

あるいは東京地方裁判所のこれらの作為不作為は少くとも控訴人の誤認を導く一要素であり、この点において誤認に対し原因を与えた行為であるとしてこれを積極に解するとしても、東京地方裁判所の機関においてこれについて故意過失あるものといい得るであろうか。

東京地方裁判所の裁判官会議、所長、事務局長ら裁判所の機関において、厚生部につきその名称、職員、庁舎の点から、また職員の監督、庁印の保管等に懈怠があつたため、これらの事情に他の事情が加わりもつて控訴人の誤認を招くべきことを認識していた事実すなわち故意の存在はこれを認めるべき証拠がない。名称、職員、庁舎の点のみで一般に誤認を導くものといい得ないことはしばしば述べたとおりであり、これに他の事情が加わつて誤認を生ぜしめたとしても、その原因は控訴人の不注意によるものであつて、控訴人にしてなお取引上通常要求せられる程度の注意を尽せば容易にこれを防止し得たはずのものであることも前記のとおりであるから、裁判所の機関がかくの如き不注意の者が誤認にいたるべきことまで予見し得べかりしものと解することはできない。また用紙や庁印の不正使用の問題にしても用いられた裁判用紙は同裁判所において日々相当量を使用するがそれはもつぱら調書や裁判書の用紙であつて司法行政機関としての裁判所が外部と往復する文書に用いられるものではなく、庁印の使用は一ケ月九百円から千二三百円位に及ぶことは原審証人鬼沢の証言からうかがい得るところであつて、このような事情の下では、かかる用紙や庁印が少くとも部外者に対し裁判所の行為と誤認せしめるような方法において取引行為に不正に使用されることを認識すべかりしものと解すべき根拠はない。一般に印章の保管が厳重に行われるのはこれが乱用盗用を防ぐにあることは控訴人所論のとおりであろう。これが乱用盗用されれば無用に法律関係の混乱を来たすおそれがあることは否定し得ない。しかし印章が盗用されればとてそれだけで本人の法律行為となるものでないことは多言をまたない。この場合印章の保管を怠つたために他人がこれを用い、第三者がこれを本人の行為と誤認したからといつて、それだけで本人に不法行為上の責任ありとすることはできない。とくに本件のような裁判所の場合、裁判所というものの機構、事務内容及び外部との取引方法の上からいつて、正規の支出負担行為担当官(会計課長)でも支出官(所長)でもない職員が、用紙や庁印を不正にしかも取引上裁判所の行為と誤認せしめるような方法で、流用するということは本来きわめて異例のことに属し、これをしも予見し得べきものとすることはできないものといわなければならない。これは本件において東京地方裁判所の裁判官会議、所長、事務局長らがしかくうかつであつたかどうかということではなく、そのことが取引上一般に要求せられる程度を超えるものであるというにある。すなわちこの点において東京地方裁判所の機関に過失あるものとすることもできないのである。

(二)  控訴人はなお、本件において東京地方裁判所は一方厚生部につきその名称、職員、庁舎の上から第三者がみて東京地方裁判所そのものときわめてまぎらわしい原因を自ら作り、他方厚生部が多額の負債があるのになお第三者と取引を継続している徴候を知悉しながら、これら第三者が厚生部を東京地方裁判所の一部局と誤認するにいたることを防止する相当の処置を講じなかつたのは信義則上の義務違背であり、これによつて生じた損害につき賠償責任あるものと主張する。

しかし国の機関たる地方裁判所当局が職員に対してする監督は原則としてもつぱら官庁内部の規律の維持にあり、外部における第三者に対して直接その責を負うべき筋合のものではない。そして本件において東京地方裁判所の行為すなわち厚生部についての名称、職員、庁印の許可及び職員の監督庁印の保管等の内部規律上の懈怠が直ちに一般に、本件においてたまたま控訴人が陥つたような誤認の結果を導くものとはいい得ないことは前記のとおりであるから、このような場合信義誠実の原則にてらしても東京地方裁判所は第三者に対する誤認防止の義務を負うものとは解せられず、また厚生部の取引先にこれを警告すべき義務あるものと解することはできない。従つて同裁判所がその不作為の結果に対し責任を負わねばならぬ理由はないものといわなければならない。また当時東京地方裁判所当局は第三者が厚生部を裁判所そのものと誤認するであろうことは現実にも予見せずまた予見し得なかつたものというべきことも前段に説明したとおりであるから、この点からもその誤認防止措置を講じなかつたことを責めることはできない。

(三)  最後に控訴人は国は天野ら被用者の不法行為について民法第七百十五条によりその責に任ずべきであると主張する。

しかし天野らが厚生部係員としてした用紙の流用庁印の不正使用等による本件取引行為はなんら国の事業の執行につきなしたものでないことは前認定の事実からおのずから明らかであり、これを同人らのした具体的な行為の外形から判断しても、その取引の内容、取引の方法形式、支払の体様等の上からいつて本来国の機関たる裁判所において適法になさるべき物資購入の行為とは全く相違し、外形上もとうてい国の事業の執行につきしたものとは認め難いところである。従つて本件につき民法第七百十五条適用の余地はないものといわなければならない。

(四)  以上の次第で控訴人の不法行為にもとずく主張はいずれも理由がない。

第五、結論

しからば控訴人の本訴請求はすべて失当として棄却すべく、これと同旨の原判決は相当であるから、本件控訴は理由のないものとして棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十五条第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤江忠二郎 原宸 浅沼武)

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